丸と四角

2020/12/16

 

最近職場の環境が変わった。100人未満の小さなオフィスから、ビルの広いフロア一面を使ったオフィスに通勤するようになった。たくさんの人が働いていて、フロアですれ違えば挨拶をする。しかしながら、私はほとんどの人の名前を知らない。そしてほとんどの人も私の名前を知らない。すれ違うときに挨拶はしても、それ以上の話は一切しないし、する必要もない。そういう環境になった。私はそれをいいとも悪いとも思っていない(つもりだ)。大勢の中で匿名でいられる心地よさというのも確かに存在する。

他の多くの仕事と同じように、私(たち)の仕事もパソコンを使う仕事である。だから、フロアには最低でも、そこで働く人と同じ数のパソコンが必要だ。職場には、広いフロアの端から端まで届くような長机が何台も設置してあって、その上に何台ものパソコンが置いてある。そして、そのパソコンよりも多い数の板がパソコン同士を仕切っている。簡単に言えば、めちゃくちゃ広い塾の自習室みたいな感じだ。お互いに名前を知らない者同士が、近くに座ってめいめいにパソコンと向かい合って仕事をする。目の前にある仕切り板の上部にはコロナ対策のアクリル板があって、それもまたフロアの端から端まで渡してある。

このオフィスで働いて3週間ほどになるけれど、なんだか気詰まりで休憩室で休憩をとったことがほとんどない。中休みでご飯を食べるときはだいたい、チェーン店や定食屋に行くか、近所の大型スーパーのフードコートなんかに行く。働き始めてまだ一月にもならないので、まだ開拓仕切れていない状態ではあるが(そして開拓しようという積極的な気もちもないが)、今のところ一番すきな場所は公園だ。

ある天気がいい日に、セブンで中国粥と、デザートにアップルクランブルチーズを買って、公園に行った。公園は会社から少し歩く場所にある。予想通り、会社の人はひとりも見かけなかった。

平日休日に関わらず、ある程度広くて豊富な遊具を揃えた昼間の公園は、ファミリー層のものだ。その日、公園に足を踏み入れた私の頭に、いの一番に浮かんだ単語は「カオス」だった。とにかく、子どもが縦横無尽に駆け回っている。彼らは走り出したと思ったら止まって、止まったと思ったら走り出す。真っ直ぐに目標に向かって走るなんてこともなくて、思い思いの弧を描いている。子どもは鮮やかな服を着がちなので、カラフルな点があちこちを無軌道に飛び回っていた。

その光景を眺めながら、ゆったりとした気持ちで昼食をとった。当然だが、オフィスとは様子が全く違う。仕事では、とにかくルールや手順を守ることが求められるし、相手が理解しやすいよう、順序よく論理的に話すことが必要とされる。仕事で求められるのは、言葉のブロックをきちんと順番に積み上げていくことで、四角四面のルールを守ることだ。そして、私は先述したように、パソコンをはじめ、たくさんの四角いものと仕事をしている。人間は日々の生活の中で、電車や車という箱を使って、家という箱からまた別の箱にしまわれに行く生き物であるけれど、私の場合、オフィスという箱の中でさらに可視不可視の、多量の四角に囲まれているわけなのだ。四角は理路整然としていて、秩序を必要とするものごとと相性がよいので、職場に四角が多いのは理解できるし当然なのだが、息がつまるもんはつまるのである。だからなるたけ、休み時間には四角から遠ざかりたいのである。その私に昼間の公園はうってつけなのであった。

子どもたちが駆け回る姿を眺め(カオス…無秩序…)と思いながら、解放的でのんびりした気分になっていたら、突如として「うぉー!」という叫び声も聞こえてきた。うらやましい、私だって意味のないことを大声で叫びたいぜ…。

公園の奥の方で、6-7人の子どもたちが、丘のように見える大きな滑り台を、縦一列に並んで滑っていた。白っぽいベージュの丘を滑り降りていく、薄もも色の帽子をかぶった彼らの頭を繋いでいくと、とてもゆるやかな曲線になった。そして、他の子どもたちも公園のそこここで、無軌道な曲線を描いている。そういえば、公園の遊具には角がなく、曲線ばかりが使われている。

そうやって、オフィスには絶対に存在しない奔放な丸い線たちをたくさん見て、ほんの少しだけ本を読んで帰った。短時間でかなりすっきりした気分になったが、午後からの仕事は死ぬほど忙しくて、途中から無になった。

 

2020/12/20

天気がよかったので、今日も公園に行ってきた。セブンで買ったほうとうはとてもおいしかった。セブンの惣菜に裏切られたことなし。帰ったらM-1を見る。

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