放熱

たぶん2020/12/9

 

仕事帰りの電車内、座席に座って、音楽を聴くでもなく、本を読むでもなく、ただただぼーっと虚空を見つめていたら、入浴剤の吊り広告が目に入った。その広告には、お風呂に入って、その日の疲れを癒している人間(棒人間というほどではないが、かなり単純化されている)のイラストが描かれていた。全体的にオレンジ色が使われているその広告を見ていると、自分も広い浴槽に浸かって、ゆったり、ぼーっとしたい気持ちになった。だが、我が家の浴室にはシャワーしかない。

よし、今夜は銭湯に行こう、とすぐに決めた。

時刻は夜の10時前。自宅近くの銭湯の営業時間をその場で調べて、2つあったうちの、11時半までやっている方に行くことにした。

帰宅して、すぐに準備に取りかかった。当然だが、銭湯には手ぶらでは行かれない。体を拭くためのバスタオルや、シャンプー、リンス、ボディソープ、洗顔フォーム、スキンケア用品など、持っていくものがけっこうある。銭湯といういわば出先で、どこまで普段通りにこだわるかについては人によって程度があるだろうが、いかんせん、銭湯という言葉の身軽な印象とは裏腹に、けっこう荷物がかさばるのだ。

ということで、ぽいぽいぽーいとテンポよく、銭湯に行くためのアイテムを揃えてエコバッグに詰めていたのだが、途中でハッと気がついた。シャンプーやリンス等、洗い場で使うアイテムを入れて持ち歩くのに最適な、プラスチック製の四角いあのカゴが我が家にはない。何か代わりになるものはないか…と狭い部屋を見回してみたところ、パーフェクトではないが、最低限の役目を果たせそうなものを見つけた。夏の終わり、花火をしようとしたとき(結局しなかった)にダイソーで買った、コバルトブルーの小さなプラスチックバケツだ。バケツの持ち手は鮮やかなグリーンで、色使いといい、形状やサイズといい、小さな子どもが公園の砂場で使っていそうなデザインだった。そういうものを、本来の用途とは異なった形で、人前で使うのは少し躊躇すべきことであるような気もしたが、そんなことはどうでもいいのだった。とりあえず目的が果たせるのならばそれでよい。カゴのように隙間がないので底に水が溜まってしまうが、そこには目をつむろう、ということで、その小さなバケツにスキンケア用品と石鹸と泡だてネットを入れた。カラフルなおもちゃのスコップやシャベルたちがお似合いのバケツに、濃いブラウンのエイジングケアシリーズのボトルたち(無印)が入れられている様には少しおかしみがあった。準備を万端に整えて、いざ銭湯へ。銭湯は予想通り空いていた。

私は長風呂ができるタイプではないのだけれど、その私にしてはゆっくり浸かって、11時頃、帰路についた。途中セブンに寄り、風呂上がりの定番たる牛乳(パックだけど)を買って、飲みながら歩いた。東京とはいえ12月の夜なので、湯冷めが心配だったけれど、体が芯から温まっていて、そしてその熱をコートが逃すまいと守ってくれていて、そんな私は多少の寒風なんぞはものともしなかった。大きな道から早々に逸れ、住宅街を抜けて歩いた。ほとんど誰ともすれ違わなかった。物音がせず、ただひたすらに静かだった。不意に水の流れる音がした。近くに水場があるわけでもないのに、と不思議に思ったが、それはマンホールの下を流れる水の音だった。マンホールの下を流れる水の音が聞こえてくるくらい、静かなんだなあ…人や車が往来する昼間には絶対に聞こえない音だ。そんな静けさの中を、これ以上ないくらいにじんじんと温まった体で進んで行く。周囲の空気がとても冷たいから、自分がとても温かいということがよく分かった。普段お風呂はシャワーだけだから、自分の体がこんなに温まることってないし、だから、自分の体からこんなにも熱が放たれることってない。体がぽっかぽかに温まっているだけのことなのに、なんだかおもしろかった。また行こう。

家に帰り、お湯を沸かして、最近気に入っている味のハーブティーにミルクを混ぜて飲んだ。心がゆるまる。いろんな形で私たちを温めてくれる、お湯は最高。