屋上の芝生

2020/11/23

 

私の仕事終わりに合わせて、恋人がみかんを届けに会社のすぐ近くまでやって来てくれた。みかんは恋人の実家から送られてきたもので、なんと恋人のお母さまが私の分も合わせて送ってくださったらしい。ということで、私もご相伴に預かることになった。

私の仕事が終わったのが夜の9時半。会社の近くの公園で待ち合わせて会った。恋人が提げていた紙袋(みかん入り)をまず受け取ろうとすると「いや、持ちますよ、大丈夫です」とのこと。別れ際まで持っておいてくれるつもりでいるらしい。

みかんの受け渡しだけではあまりにも味気ないので、近くの商業ビルの屋上にのぼることにした。そのビルは、都内にある他の商業ビルの例に漏れず、屋上がお客様の”憩いの場”として設計されていて、だから緑やベンチが豊富に設置されている。しかも、そこからは東京タワーとスカイツリーの両方が見られるのだ。仕事終わりに何度か行ったことがあるのだけれど、夜の9時や10時になると人が少なくて、けっこう穴場なのである。

近くのコンビニでホットココアを買って屋上へ。どこに座ろうかね〜と、いい感じの照明で照らされた屋上をぶらぶらしていたら、芝生を発見した。屋上はけっこうスペースがあるので、中央が広場のようになっており、その一角に芝生が敷かれていたのだ。

「芝生だ!!!!!!」と芝生へ一直線に向かう私と、笑いながらついてくる恋人。

芝生の上に立つと、何だか寝転がりたくなってしまった。「寝転がりたいんやけど!」と言ったら案の定「寝転がったらいいじゃないですか」と返ってきたので、すぐに寝転がった。まあ「寝転がるな」と言われても寝転がるのだけれども。

まずは芝生にお尻を下ろして、で、その後、背中を倒して本格的に寝転がった。背中に感じる柔らかな土の感触が心地よかった。芝生に寝転がるのはいつぶりだっただろうか。まさか東京のど真ん中で、仕事終わりに芝生に寝転がることになるとは思いもしなかった。楽しいね。

寝転がったら次はごろごろしたくなってしまった。ここまできたらやってやろうと思って、ごろごろした。手足を伸ばして、体を漢数字の「一」の形にして、ごろごろ転がるやつです。みんな一度はやったことがあると思う(でも、こんな無意味な運動どこでやったんだろうね?体育の授業とか?記憶にない)。気づいたら恋人も寝転がっていて、「いいですね〜」と言っていた。ね、いいですよね。

後で、全身についてしまった芝を恋人が笑いながらとってくれた。「電車に芝だらけの人が乗ってきたらびっくりするでしょ?」とのこと。「旅の人かなと思われるかもしれないじゃん」と返しつつ、そのまま素直にとってもらっていた。

 

私は、やりたいと思ったことは、周囲に迷惑がかからなければ何でもやりたいと思っているけれど、たまに、さすがにひとりではできないな…と挫けてしまうことがある。でも、恋人が一緒にいるときには、勇気が出る、というか、ほぼためらうことなしに何でもできてしまう。今回の芝生ごろごろもそのひとつだ。もし、屋上にひとりで行っていたら、したいと思っても出来なかっただろう。いや、そもそもやってみたいとも思わなかったかもしれない。

恋人は先述したような、私のふざけはしゃぎムーブをいつも一緒に楽しんでくれる。例えば、お米の袋を頭に乗せて、バランスをとりながら駅前の横断歩道を渡ったりとか、深夜に公園の遊具でめいいっぱい遊んだりとか、海岸に流れ着いた流木を使って素振りしたりとか(流木はすごく重かった)。

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今挙げた内の一部は、たぶん、そもそもひとりではやってみる気にもならない。誰かと一緒にいるからこそ、やってみたい気持ちにもなるのだが、もちろんその「誰か」は誰でもいい訳じゃない。私のふざけはしゃぎマインドを刺激し、私のふざけはしゃぎムーブを一緒に楽しんでくれる人でなければだめなのだ。受け入れられるという確信があるからこそ、私はのびのびとふざけられる。当然ながら(?)、そういう人にはあまり出会えない。だから、私をのびのびいさせてくれる恋人や友人は貴重な存在だ。本当にありがたいです。

 別れ際に、みかんが20個ほど入っているという紙袋を手渡された。持つとずしっと重かった。こんなのをずっと持っててくれたのか、と思った。この間も私が購入した「ナニワ金融道」文庫版全10巻を家まで運んで来てくれたし、本当にこの人は惜しみなく与える人だな、と感心してしまった。

 

この日は、午前中は母親と会ってうな丼とメロンパフェを食べて、昼からは仕事をして、夜は恋人と屋上に行ってごろごろしてみかんを頂いて帰宅、という盛りだくさんな一日だった。もらったみかんは甘くてとてもおいしかった。