私と石、相反するもの

さっき歯を磨きながら自室の石ころたちを手にとっていくつか眺めていたら、ふと(私と石って正反対だな!?)とハッとしたので、その衝撃そのままに書き出してみる。記事に上げられるほどの分量が書けるかどうか不明だけどとりあえず走り出してみます。

 

私は自他共に認める(どれほどの他が認めてくれるかは分からないけれど、一定数は認めてくれると思う)気分屋だ。自分の気分の目まぐるしい変わりように、自分自身が疲れてしまうほどの気分屋なのだ。例えば、私は夕食に何を食べるか事前に決められない。お昼を食べている時に(晩ご飯はから揚げがいい!そうだ、今日はから揚げだ!)と決心していても、数時間後、家路につく電車の中では(やっぱり野菜が食べたいな〜、ラタトゥイユか?よっしゃラタトゥイユにしよう!)となるし、ラタトゥイユだ!材料を買うぞ!と思ってスーパーの自動ドアをくぐる頃には(あれ、やっぱりそばかな…?)となるし、そばを買って帰っていざそばを茹でる段になると、(やっぱりそばじゃない気がするな…?)となって、結局冷蔵庫にある鳥もも肉を塩胡椒で焼いて食う、みたいな結果になる。だから、「明日の晩ご飯はもう決まってるんだよね、カレーにすんの。日曜に材料買っちゃったからね」とか、月曜の夕方に宣言できる同期のことは本当に尊敬する。なんでそんなことができるの?明日の晩のあなたがカレーを食べたい気持ちである(食べたいという積極的な気持ちまでいかずとも、まあ食べてもよいだろうという状態である)と今のあなたがどうして確信できるの?と思ってしまう。明日の晩に自分が何を食べたくなるかなんて全く分からないじゃないか!と。

(しかしながら、彼は「月曜カレー、火曜ハンバーグ、水曜麻婆豆腐、木曜焼きそば、金曜オムライス…みたいなルーティーンでいいわ」というタイプなので、そもそも食にそこまでのこだわりがないのかもしれない。私は食にこだわりがある、というよりは自分の気分、つまり、その時自分が何を食べたいか/作りたいか、を最優先にしている節があるので、私と彼の感覚の乖離は致し方ないことなのかもしれない。)

そんな私の気分屋加減に、私自身が振り回されて疲れてしまうのだ。気分がAだったのにMになって、MだったのにTになって、TだったのにXになって…その時々の自分の気分に合わせて行動するけれども、その気分が変わる可能性を十分に心得ているから、紆余曲折あってたどり着いたXが本当に結論なのかも分からない。終わりが見えないのだ。しかも、いろんな種類の中から一つ選ぶという作業だけでなく、YES or NOの二者択一型の選択でさえも同じで、朝は行くつもりだったのに、直前になって行きたくなくなったり、逆に行く予定でなかったのに、突如思い立って行くことにしたり。そうやって、いろんな方向に目まぐるしく変化していく自分の感情についていけなかったり、驚いたり、疲れたりすることがまあたまに結構ある。

「人間は変化する生き物だ」と言う時、ここでの「変化」は、ある程度の期間を想定している。けれど、私の場合はそれだけでなく、一日単位で情緒や気分の激しい変化を経験する。そんな私と石はまさに正反対の存在だ。こんなにも情緒不安定で気分屋な私がどたばたと生活する狭い部屋で、じっと静かに佇んでいる石。気分屋の私だが、物言わず、絶対に変化しない彼らを美しい、好きだと思う気持ちは変わらない。歯を磨き終わったのと同時にそれに気がついて、なぜか少しほっとした。私の部屋に石が、今日もいてくれてうれしい。

 

 

石の話ついでに、最近の石ニュースは、「よつばと!」の15巻で石拾いががっつりフィーチャーされていたことです。しかも、舞台が比較的最近行った大磯だった。自分が見たことのある風景が漫画になっていたし、石の描写も言うことないしで大興奮でした。大磯の石たちとスナフキンです。

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